三枝 守全(さいぐさ もりあきら、慶長15年(1610年) - 延宝8年5月26日(1680年6月22日))は、江戸時代の旗本。父は三枝守昌、母は信濃国諏訪高島藩主諏訪頼水の娘。初名は守勝、通称は源八郎、内匠。官位は従五位下、能登守、隠岐守。法名は全心。正室は和泉国陶器藩主小出三尹の娘であり、その間に嫡男の三枝守輝がいる。他に(京都町奉行)、(もりなお)、娘(一柳直増室)、他女子2人がいる。