七人の眠り聖人(ななにんのねむりせいじん、アラビア語: أصحاب الكهف‎)とは、キリスト教やイスラム教の伝承で宗教迫害を免れるため西暦250年頃にエフェソス郊外の洞窟内に隠れ、約300年後に姿を現した若者達の物語である。 最初期の物語形式はシリアの司教(約450-521)から伝来したもので、それ自体さらに昔のギリシア時代の書物から派生したものとされるが、こちらは現在見つかっていない。このおとぎ話の概要は、トゥールのグレゴリウス(538-594)の著書やパウルス・ディアコヌス(720-799)の『ランゴバルド史』に掲載されている。最も知られている西洋版の物語はヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』に掲載されたものである。 少なくとも中世の9言語で記述が発見されており、主に9世紀から13世紀にかけての年代で、200を超える写本に保存されている。13世紀には、詩人が古フランス語版を綴った。この物語はコーラン(洞窟のスーラ18:9-26)にも登場しており、こちらはペルシャ語、キルギス語、タタール語でも翻訳された。

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  • 七人の眠り聖人(ななにんのねむりせいじん、アラビア語: أصحاب الكهف‎)とは、キリスト教やイスラム教の伝承で宗教迫害を免れるため西暦250年頃にエフェソス郊外の洞窟内に隠れ、約300年後に姿を現した若者達の物語である。 最初期の物語形式はシリアの司教(約450-521)から伝来したもので、それ自体さらに昔のギリシア時代の書物から派生したものとされるが、こちらは現在見つかっていない。このおとぎ話の概要は、トゥールのグレゴリウス(538-594)の著書やパウルス・ディアコヌス(720-799)の『ランゴバルド史』に掲載されている。最も知られている西洋版の物語はヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』に掲載されたものである。 少なくとも中世の9言語で記述が発見されており、主に9世紀から13世紀にかけての年代で、200を超える写本に保存されている。13世紀には、詩人が古フランス語版を綴った。この物語はコーラン(洞窟のスーラ18:9-26)にも登場しており、こちらはペルシャ語、キルギス語、タタール語でも翻訳された。 (Roman Martyrology) が、エフェソスの七人の眠り聖人に言及しているのは7月27日(第二バチカン暦によると6月)という日付である。ビザンティン暦は8月4日と10月22日に祝祭を行って彼らを祝う。9世紀のアイルランド暦Félire Óengussoは8月7日に七人の眠り男を祝う。シリア正教会の暦には、4月21日、8月2日、8月13日、10月23日、10月24日など、様々な日付が記載されている。 (ja)
  • 七人の眠り聖人(ななにんのねむりせいじん、アラビア語: أصحاب الكهف‎)とは、キリスト教やイスラム教の伝承で宗教迫害を免れるため西暦250年頃にエフェソス郊外の洞窟内に隠れ、約300年後に姿を現した若者達の物語である。 最初期の物語形式はシリアの司教(約450-521)から伝来したもので、それ自体さらに昔のギリシア時代の書物から派生したものとされるが、こちらは現在見つかっていない。このおとぎ話の概要は、トゥールのグレゴリウス(538-594)の著書やパウルス・ディアコヌス(720-799)の『ランゴバルド史』に掲載されている。最も知られている西洋版の物語はヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』に掲載されたものである。 少なくとも中世の9言語で記述が発見されており、主に9世紀から13世紀にかけての年代で、200を超える写本に保存されている。13世紀には、詩人が古フランス語版を綴った。この物語はコーラン(洞窟のスーラ18:9-26)にも登場しており、こちらはペルシャ語、キルギス語、タタール語でも翻訳された。 (Roman Martyrology) が、エフェソスの七人の眠り聖人に言及しているのは7月27日(第二バチカン暦によると6月)という日付である。ビザンティン暦は8月4日と10月22日に祝祭を行って彼らを祝う。9世紀のアイルランド暦Félire Óengussoは8月7日に七人の眠り男を祝う。シリア正教会の暦には、4月21日、8月2日、8月13日、10月23日、10月24日など、様々な日付が記載されている。 (ja)
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  • 七人の眠り聖人(ななにんのねむりせいじん、アラビア語: أصحاب الكهف‎)とは、キリスト教やイスラム教の伝承で宗教迫害を免れるため西暦250年頃にエフェソス郊外の洞窟内に隠れ、約300年後に姿を現した若者達の物語である。 最初期の物語形式はシリアの司教(約450-521)から伝来したもので、それ自体さらに昔のギリシア時代の書物から派生したものとされるが、こちらは現在見つかっていない。このおとぎ話の概要は、トゥールのグレゴリウス(538-594)の著書やパウルス・ディアコヌス(720-799)の『ランゴバルド史』に掲載されている。最も知られている西洋版の物語はヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説 (聖人伝)』に掲載されたものである。 少なくとも中世の9言語で記述が発見されており、主に9世紀から13世紀にかけての年代で、200を超える写本に保存されている。13世紀には、詩人が古フランス語版を綴った。この物語はコーラン(洞窟のスーラ18:9-26)にも登場しており、こちらはペルシャ語、キルギス語、タタール語でも翻訳された。 (ja)
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