レオン・パジェス(Léon Pagès、1814年-1886年)はパリ生まれのフランス人外交官でフランスにおける草創期の日本史家。 清国(現・中華人民共和国)駐在のフランス公使館員として1847年から1851年まで北京に赴任している。外交官時代からフランシスコ・ザビエルに興味を持ち、1855年には『聖ザベリオ書簡集』をパリで訳刊している。興味は日本にも向けられたが、パジェスが来日したとの記録はない。パリで政治哲学誌『ユニベール』の編集者を務めたこともある。フランスへ帰国後は日本研究を進め、1859年に『日本図書目録』を、そして4巻からなる『日本帝国史』の稿を起こしたが未完となった。1863年にはパリの東洋語学校に日本語講座が新設され、初代教授の座をレオン・ド・ロニと争うが敗れる。日本キリスト教史にも力を注ぎ、1862年に『日本二十六聖人殉教記』を、1869‐1870年に『日本帝国史』の第3巻に当たる『日本キリシタン宗門史』と付編『史料集』を、1873年には『日本キリシタン迫害と日本遣欧使節記』を刊行した。

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  • レオン・パジェス(Léon Pagès、1814年-1886年)はパリ生まれのフランス人外交官でフランスにおける草創期の日本史家。 清国(現・中華人民共和国)駐在のフランス公使館員として1847年から1851年まで北京に赴任している。外交官時代からフランシスコ・ザビエルに興味を持ち、1855年には『聖ザベリオ書簡集』をパリで訳刊している。興味は日本にも向けられたが、パジェスが来日したとの記録はない。パリで政治哲学誌『ユニベール』の編集者を務めたこともある。フランスへ帰国後は日本研究を進め、1859年に『日本図書目録』を、そして4巻からなる『日本帝国史』の稿を起こしたが未完となった。1863年にはパリの東洋語学校に日本語講座が新設され、初代教授の座をレオン・ド・ロニと争うが敗れる。日本キリスト教史にも力を注ぎ、1862年に『日本二十六聖人殉教記』を、1869‐1870年に『日本帝国史』の第3巻に当たる『日本キリシタン宗門史』と付編『史料集』を、1873年には『日本キリシタン迫害と日本遣欧使節記』を刊行した。 (ja)
  • レオン・パジェス(Léon Pagès、1814年-1886年)はパリ生まれのフランス人外交官でフランスにおける草創期の日本史家。 清国(現・中華人民共和国)駐在のフランス公使館員として1847年から1851年まで北京に赴任している。外交官時代からフランシスコ・ザビエルに興味を持ち、1855年には『聖ザベリオ書簡集』をパリで訳刊している。興味は日本にも向けられたが、パジェスが来日したとの記録はない。パリで政治哲学誌『ユニベール』の編集者を務めたこともある。フランスへ帰国後は日本研究を進め、1859年に『日本図書目録』を、そして4巻からなる『日本帝国史』の稿を起こしたが未完となった。1863年にはパリの東洋語学校に日本語講座が新設され、初代教授の座をレオン・ド・ロニと争うが敗れる。日本キリスト教史にも力を注ぎ、1862年に『日本二十六聖人殉教記』を、1869‐1870年に『日本帝国史』の第3巻に当たる『日本キリシタン宗門史』と付編『史料集』を、1873年には『日本キリシタン迫害と日本遣欧使節記』を刊行した。 (ja)
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  • レオン・パジェス(Léon Pagès、1814年-1886年)はパリ生まれのフランス人外交官でフランスにおける草創期の日本史家。 清国(現・中華人民共和国)駐在のフランス公使館員として1847年から1851年まで北京に赴任している。外交官時代からフランシスコ・ザビエルに興味を持ち、1855年には『聖ザベリオ書簡集』をパリで訳刊している。興味は日本にも向けられたが、パジェスが来日したとの記録はない。パリで政治哲学誌『ユニベール』の編集者を務めたこともある。フランスへ帰国後は日本研究を進め、1859年に『日本図書目録』を、そして4巻からなる『日本帝国史』の稿を起こしたが未完となった。1863年にはパリの東洋語学校に日本語講座が新設され、初代教授の座をレオン・ド・ロニと争うが敗れる。日本キリスト教史にも力を注ぎ、1862年に『日本二十六聖人殉教記』を、1869‐1870年に『日本帝国史』の第3巻に当たる『日本キリシタン宗門史』と付編『史料集』を、1873年には『日本キリシタン迫害と日本遣欧使節記』を刊行した。 (ja)
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