モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻(モンゴルのしんせいローマていこくしんこう)は、1241年春と1241年-1242年の冬に行われた。これらは、モンゴル軍による最初のヨーロッパへの大規模な侵攻の一部であった。 モンゴル軍は神聖ローマ帝国の領土奥深くには進まず、この方面では大規模な武力衝突も生じなかった。一方、ポーランドに侵攻した軍団はドイツ東部に進出した後、1241年4月から5月にかけてモラヴィア辺境伯領を越えて、ハンガリーに侵攻した軍と合流した。その際、モンゴル軍はモラヴィア地方を蹂躙したが、軍事的要衝への攻撃は避けている。ボヘミア王ヴァーツラフ1世はドイツの諸侯と合流したが、戦闘を避けてモラヴィアでモンゴル軍の動向を監視した。1カ月後には、オーストリア公国の北部で数百人の死者を出す大規模な衝突があったが、オーストリア人とハンガリー人が協力してモンゴル軍に対抗するには至らなかった。 モンゴル軍の脅威に対応するため、帝国教会と帝国諸侯(フュルスト)は会議を開いた。教皇グレゴリウス9世は十字軍の説法を命じ、イタリアからは皇帝フリードリヒ2世がそのための回勅を出した。ドイツ王コンラート4世の指揮する十字軍は1241年7月1日に招集されたが、出発して数週間後にはモンゴル軍侵攻の危機が去ったとして解散してしまった。

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  • モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻(モンゴルのしんせいローマていこくしんこう)は、1241年春と1241年-1242年の冬に行われた。これらは、モンゴル軍による最初のヨーロッパへの大規模な侵攻の一部であった。 モンゴル軍は神聖ローマ帝国の領土奥深くには進まず、この方面では大規模な武力衝突も生じなかった。一方、ポーランドに侵攻した軍団はドイツ東部に進出した後、1241年4月から5月にかけてモラヴィア辺境伯領を越えて、ハンガリーに侵攻した軍と合流した。その際、モンゴル軍はモラヴィア地方を蹂躙したが、軍事的要衝への攻撃は避けている。ボヘミア王ヴァーツラフ1世はドイツの諸侯と合流したが、戦闘を避けてモラヴィアでモンゴル軍の動向を監視した。1カ月後には、オーストリア公国の北部で数百人の死者を出す大規模な衝突があったが、オーストリア人とハンガリー人が協力してモンゴル軍に対抗するには至らなかった。 モンゴル軍の脅威に対応するため、帝国教会と帝国諸侯(フュルスト)は会議を開いた。教皇グレゴリウス9世は十字軍の説法を命じ、イタリアからは皇帝フリードリヒ2世がそのための回勅を出した。ドイツ王コンラート4世の指揮する十字軍は1241年7月1日に招集されたが、出発して数週間後にはモンゴル軍侵攻の危機が去ったとして解散してしまった。 神聖ローマ帝国内ではモンゴル軍との大規模な軍事衝突は起こらなかったが、神聖ローマ帝国がモンゴル軍を牽制したという噂は、帝国の国境を越えて広がっていった。スペインからアルメニアまで、ボヘミアやドイツの王がモンゴル軍を倒して退却させたという記録がいくつかの言語で残されている。モラヴィアでは、モンゴル軍に勝利したとされる記録が伝説となった。ドイツでは、モンゴル軍がヨーロッパから撤退したのは、十字軍の軍事行動のおかげだとする作家もいた。実際には、モンゴル軍はキプチャク人(クマン人)を受け容れたハンガリー王を討伐することを第一の目的としていたため、神聖ローマ領の大部分はモンゴル軍の攻撃を免れたと考えられる。 モンゴルは1241年12月と1242年1月にオーストリア東部とモラヴィア南部を再び襲撃した。100年後の1340年にはブランデンブルク辺境伯領を襲撃した。この2回の襲撃の間にも、1351年になっても、帝国内では何度も反モンゴル十字軍が説かれた。 (ja)
  • モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻(モンゴルのしんせいローマていこくしんこう)は、1241年春と1241年-1242年の冬に行われた。これらは、モンゴル軍による最初のヨーロッパへの大規模な侵攻の一部であった。 モンゴル軍は神聖ローマ帝国の領土奥深くには進まず、この方面では大規模な武力衝突も生じなかった。一方、ポーランドに侵攻した軍団はドイツ東部に進出した後、1241年4月から5月にかけてモラヴィア辺境伯領を越えて、ハンガリーに侵攻した軍と合流した。その際、モンゴル軍はモラヴィア地方を蹂躙したが、軍事的要衝への攻撃は避けている。ボヘミア王ヴァーツラフ1世はドイツの諸侯と合流したが、戦闘を避けてモラヴィアでモンゴル軍の動向を監視した。1カ月後には、オーストリア公国の北部で数百人の死者を出す大規模な衝突があったが、オーストリア人とハンガリー人が協力してモンゴル軍に対抗するには至らなかった。 モンゴル軍の脅威に対応するため、帝国教会と帝国諸侯(フュルスト)は会議を開いた。教皇グレゴリウス9世は十字軍の説法を命じ、イタリアからは皇帝フリードリヒ2世がそのための回勅を出した。ドイツ王コンラート4世の指揮する十字軍は1241年7月1日に招集されたが、出発して数週間後にはモンゴル軍侵攻の危機が去ったとして解散してしまった。 神聖ローマ帝国内ではモンゴル軍との大規模な軍事衝突は起こらなかったが、神聖ローマ帝国がモンゴル軍を牽制したという噂は、帝国の国境を越えて広がっていった。スペインからアルメニアまで、ボヘミアやドイツの王がモンゴル軍を倒して退却させたという記録がいくつかの言語で残されている。モラヴィアでは、モンゴル軍に勝利したとされる記録が伝説となった。ドイツでは、モンゴル軍がヨーロッパから撤退したのは、十字軍の軍事行動のおかげだとする作家もいた。実際には、モンゴル軍はキプチャク人(クマン人)を受け容れたハンガリー王を討伐することを第一の目的としていたため、神聖ローマ領の大部分はモンゴル軍の攻撃を免れたと考えられる。 モンゴルは1241年12月と1242年1月にオーストリア東部とモラヴィア南部を再び襲撃した。100年後の1340年にはブランデンブルク辺境伯領を襲撃した。この2回の襲撃の間にも、1351年になっても、帝国内では何度も反モンゴル十字軍が説かれた。 (ja)
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  • モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻(モンゴルのしんせいローマていこくしんこう)は、1241年春と1241年-1242年の冬に行われた。これらは、モンゴル軍による最初のヨーロッパへの大規模な侵攻の一部であった。 モンゴル軍は神聖ローマ帝国の領土奥深くには進まず、この方面では大規模な武力衝突も生じなかった。一方、ポーランドに侵攻した軍団はドイツ東部に進出した後、1241年4月から5月にかけてモラヴィア辺境伯領を越えて、ハンガリーに侵攻した軍と合流した。その際、モンゴル軍はモラヴィア地方を蹂躙したが、軍事的要衝への攻撃は避けている。ボヘミア王ヴァーツラフ1世はドイツの諸侯と合流したが、戦闘を避けてモラヴィアでモンゴル軍の動向を監視した。1カ月後には、オーストリア公国の北部で数百人の死者を出す大規模な衝突があったが、オーストリア人とハンガリー人が協力してモンゴル軍に対抗するには至らなかった。 モンゴル軍の脅威に対応するため、帝国教会と帝国諸侯(フュルスト)は会議を開いた。教皇グレゴリウス9世は十字軍の説法を命じ、イタリアからは皇帝フリードリヒ2世がそのための回勅を出した。ドイツ王コンラート4世の指揮する十字軍は1241年7月1日に招集されたが、出発して数週間後にはモンゴル軍侵攻の危機が去ったとして解散してしまった。 (ja)
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  • モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻 (ja)
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