イブン・サイード・マグリビー(アラビア語 أبو الحسن علی ابن موسی ابن محمد ابن عبد الملک ابن سعید المغربی Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn Mūsā ibn ʿAbd al-Malik ibn Saʿīd al-Maghribī 1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。 1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』(کتاب المغرب في حلا المغرب Kitāb al-Mughrib fī ḥulā'l-Maghrib)によって名声を博した。 1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。この旅は『美しきマグリブの書』と対となる『美しきマシュリクの書』(マグリブが西方を指すのに対しマシュリクは東方を指す)のためと思われるが、こちらは現在ほとんど散逸してしまっている。その後1254/5年にチュニスに到着、ハフス朝の君主・ムスタンスィルに仕えた。1267年、再び東方へ出発し、イランまで巡遊している。1276年ころチュニスに戻り、1286年同地に没した。

Property Value
dbo:abstract
  • イブン・サイード・マグリビー(アラビア語 أبو الحسن علی ابن موسی ابن محمد ابن عبد الملک ابن سعید المغربی Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn Mūsā ibn ʿAbd al-Malik ibn Saʿīd al-Maghribī 1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。 1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』(کتاب المغرب في حلا المغرب Kitāb al-Mughrib fī ḥulā'l-Maghrib)によって名声を博した。 1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。この旅は『美しきマグリブの書』と対となる『美しきマシュリクの書』(マグリブが西方を指すのに対しマシュリクは東方を指す)のためと思われるが、こちらは現在ほとんど散逸してしまっている。その後1254/5年にチュニスに到着、ハフス朝の君主・ムスタンスィルに仕えた。1267年、再び東方へ出発し、イランまで巡遊している。1276年ころチュニスに戻り、1286年同地に没した。 (ja)
  • イブン・サイード・マグリビー(アラビア語 أبو الحسن علی ابن موسی ابن محمد ابن عبد الملک ابن سعید المغربی Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn Mūsā ibn ʿAbd al-Malik ibn Saʿīd al-Maghribī 1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。 1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』(کتاب المغرب في حلا المغرب Kitāb al-Mughrib fī ḥulā'l-Maghrib)によって名声を博した。 1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。この旅は『美しきマグリブの書』と対となる『美しきマシュリクの書』(マグリブが西方を指すのに対しマシュリクは東方を指す)のためと思われるが、こちらは現在ほとんど散逸してしまっている。その後1254/5年にチュニスに到着、ハフス朝の君主・ムスタンスィルに仕えた。1267年、再び東方へ出発し、イランまで巡遊している。1276年ころチュニスに戻り、1286年同地に没した。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 579446 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1352 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 84757298 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • イブン・サイード・マグリビー(アラビア語 أبو الحسن علی ابن موسی ابن محمد ابن عبد الملک ابن سعید المغربی Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn Mūsā ibn ʿAbd al-Malik ibn Saʿīd al-Maghribī 1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。 1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』(کتاب المغرب في حلا المغرب Kitāb al-Mughrib fī ḥulā'l-Maghrib)によって名声を博した。 1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。この旅は『美しきマグリブの書』と対となる『美しきマシュリクの書』(マグリブが西方を指すのに対しマシュリクは東方を指す)のためと思われるが、こちらは現在ほとんど散逸してしまっている。その後1254/5年にチュニスに到着、ハフス朝の君主・ムスタンスィルに仕えた。1267年、再び東方へ出発し、イランまで巡遊している。1276年ころチュニスに戻り、1286年同地に没した。 (ja)
  • イブン・サイード・マグリビー(アラビア語 أبو الحسن علی ابن موسی ابن محمد ابن عبد الملک ابن سعید المغربی Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn Mūsā ibn ʿAbd al-Malik ibn Saʿīd al-Maghribī 1213年 - 1276年)は、アンダルス出身の歴史学者、地理学者。 1213年、グラナダ近郊に生まれ、セビリャに学んだ。1241年、マッカ巡礼に旅立ちアレクサンドリア、カイロに滞在し、家族代々の営みであったマグリブとアンダルスの歴史書『美しきマグリブの書』(کتاب المغرب في حلا المغرب Kitāb al-Mughrib fī ḥulā'l-Maghrib)によって名声を博した。 1249年、カイロを立ってシリア、イラクを周遊、さらにマッカへ二回目の巡礼を果たしている。この旅は『美しきマグリブの書』と対となる『美しきマシュリクの書』(マグリブが西方を指すのに対しマシュリクは東方を指す)のためと思われるが、こちらは現在ほとんど散逸してしまっている。その後1254/5年にチュニスに到着、ハフス朝の君主・ムスタンスィルに仕えた。1267年、再び東方へ出発し、イランまで巡遊している。1276年ころチュニスに戻り、1286年同地に没した。 (ja)
rdfs:label
  • イブン・サイード・マグリビー (ja)
  • イブン・サイード・マグリビー (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of