ドミトリー・トロフィーモヴィチ・シェピーロフ(ロシア語: Дмитрий Трофимович Шепилов、ラテン文字表記の例:Dmitri Trofimovich Shepilov、1905年11月5日(ロシア旧暦では10月23日) - 1995年8月8日)は、ソビエト連邦の政治家、農業経済学者。フルシチョフの時代に外務大臣を務めた。日ソ共同宣言調印時のである。1957年の反党グループ事件に関与した。