ダリネゴルスク(露: Дальнегорск(「遠くの山の町」、音写:Dal'negorsk )、英: Dalnegorsk、中: 達利涅戈爾斯克)はロシアの極東部、沿海地方のに属する街。人口は2002年国勢調査で40,069人の鉱工業都市で、沿海地方東部の日本海側ではもっとも大きな街である。 かつてはテチューヘ(露: Те́тюхе、音写:Tetyukhe)といった。1860年の北京条約までは沿海地方は清の領土・外満洲であったため、多くの中国語由来の地名が残っており、テチューヘも中国語: 野猪河(拼音: yĕzhūhé)を転じた名称である。テチューヘはシベリア抑留や気象通報などによって日本でもよく知られていた名称だった。 1972年、1960年代から深刻化した中ソ対立の影響により中国語・満州語由来の地名をロシア語地名へ改称する政策の一環として現在の地名に変更された。

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  • ダリネゴルスク(露: Дальнегорск(「遠くの山の町」、音写:Dal'negorsk )、英: Dalnegorsk、中: 達利涅戈爾斯克)はロシアの極東部、沿海地方のに属する街。人口は2002年国勢調査で40,069人の鉱工業都市で、沿海地方東部の日本海側ではもっとも大きな街である。 かつてはテチューヘ(露: Те́тюхе、音写:Tetyukhe)といった。1860年の北京条約までは沿海地方は清の領土・外満洲であったため、多くの中国語由来の地名が残っており、テチューヘも中国語: 野猪河(拼音: yĕzhūhé)を転じた名称である。テチューヘはシベリア抑留や気象通報などによって日本でもよく知られていた名称だった。 1972年、1960年代から深刻化した中ソ対立の影響により中国語・満州語由来の地名をロシア語地名へ改称する政策の一環として現在の地名に変更された。 (ja)
  • ダリネゴルスク(露: Дальнегорск(「遠くの山の町」、音写:Dal'negorsk )、英: Dalnegorsk、中: 達利涅戈爾斯克)はロシアの極東部、沿海地方のに属する街。人口は2002年国勢調査で40,069人の鉱工業都市で、沿海地方東部の日本海側ではもっとも大きな街である。 かつてはテチューヘ(露: Те́тюхе、音写:Tetyukhe)といった。1860年の北京条約までは沿海地方は清の領土・外満洲であったため、多くの中国語由来の地名が残っており、テチューヘも中国語: 野猪河(拼音: yĕzhūhé)を転じた名称である。テチューヘはシベリア抑留や気象通報などによって日本でもよく知られていた名称だった。 1972年、1960年代から深刻化した中ソ対立の影響により中国語・満州語由来の地名をロシア語地名へ改称する政策の一環として現在の地名に変更された。 (ja)
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  • ダリネゴルスク(露: Дальнегорск(「遠くの山の町」、音写:Dal'negorsk )、英: Dalnegorsk、中: 達利涅戈爾斯克)はロシアの極東部、沿海地方のに属する街。人口は2002年国勢調査で40,069人の鉱工業都市で、沿海地方東部の日本海側ではもっとも大きな街である。 かつてはテチューヘ(露: Те́тюхе、音写:Tetyukhe)といった。1860年の北京条約までは沿海地方は清の領土・外満洲であったため、多くの中国語由来の地名が残っており、テチューヘも中国語: 野猪河(拼音: yĕzhūhé)を転じた名称である。テチューヘはシベリア抑留や気象通報などによって日本でもよく知られていた名称だった。 1972年、1960年代から深刻化した中ソ対立の影響により中国語・満州語由来の地名をロシア語地名へ改称する政策の一環として現在の地名に変更された。 (ja)
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  • ダリネゴルスク (ja)
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