『シチュアシオン』(Situations)は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集であり、10巻からなる。 第1巻は評論集である。フランソワ・モーリヤックの小説技法について小説は一個の人間によって多くの人間のために書かれるものであるのに「作者は神の全知全能を選んだ」としてモーリヤックを厳しく批判した「フランソワ・モーリヤック氏と自由」や、モーリス・ブランショを紹介した「アミナダブ」、ジョルジュ・バタイユに対して「非-知」とは自己欺瞞であるとし、それを神秘主義だと断じた「新しい神秘家」などは有名である。他にアルベール・カミュ、ウィリアム・フォークナー、ジャン・ジロドゥー、フランシス・ポンジュなどの評論がある。またエドムント・フッサールの現象学をフランスに紹介した「フッサールの現象学の根本的理念」なども収録されている。極めて独自の手法を用いたこれらの作家論は、あらたな評論形式を切り開いた物とも言える。 第5巻は植民地問題論集(1954年3月 - 1958年4月)である。この巻から、『シチュアシオン』の性格は大きく変わり、以後政治論文が多くを占める。なお、原副題は「植民地主義と新植民地主義」(Colonialisme et néo-colonialisme)である。 第6巻はマルクス主義の問題Ⅰである。 第7巻はマルクス主義の問題Ⅱである。

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  • 『シチュアシオン』(Situations)は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集であり、10巻からなる。 第1巻は評論集である。フランソワ・モーリヤックの小説技法について小説は一個の人間によって多くの人間のために書かれるものであるのに「作者は神の全知全能を選んだ」としてモーリヤックを厳しく批判した「フランソワ・モーリヤック氏と自由」や、モーリス・ブランショを紹介した「アミナダブ」、ジョルジュ・バタイユに対して「非-知」とは自己欺瞞であるとし、それを神秘主義だと断じた「新しい神秘家」などは有名である。他にアルベール・カミュ、ウィリアム・フォークナー、ジャン・ジロドゥー、フランシス・ポンジュなどの評論がある。またエドムント・フッサールの現象学をフランスに紹介した「フッサールの現象学の根本的理念」なども収録されている。極めて独自の手法を用いたこれらの作家論は、あらたな評論形式を切り開いた物とも言える。 第2巻は文学論(1944年9月 - 1946年12月)である。プルーストをブルジョワ的作家として断罪し、分析的精神から総合的精神への変換を求め、文学の社会参加を呼びかけた「『レ・タン・モデルヌ』創刊の辞』や、文学が権力者に利用されようとしている危機を訴える「文学の国営化」などが収録されているが、最も有名で重要なのは「文学とは何か」(Qu'est-ce que la Littérature?)であろう。ここでは散文家は「語る者」であると定義し、「語る」以上は現代の諸問題について無視するのは「無視するという態度をとる」ということになり、現代の共犯者になる。それゆえ作家は社会の反省的意識の存在になり、反共犯者になるべきであると説いた。この評論は非常に反響をもたらし、日本でも江藤淳が『作家は行動する』においてサルトルの呼びかけに応じたのは有名である。また、「文学とは何か」はサルトルの倫理観を研究する上でも非常に重要な文献で、この中に登場する「呼びかけ」や「贈与」などの概念は注目を浴びている。 第3巻は文明論集(文学とアンガージュマン:1947年2月 - 1947年4月)である。ドイツ占領中のフランスほど自由なことはなかった。何故ならば、何をしてもそれはアンガージュマンになったからだ、という有名な論文「占領下のパリ」、サルトルがアメリカ旅行した際のアメリカ論などが収められている。また、先駆的なスターリン的マルクス主義批判の論文「唯物論と革命」も忘れてはならないだろう。また、ネグリチュードの詩人たちへ寄せた「黒いオルフェ」の存在も重要である。この巻はアンガージュマンの実践が強く窺えるが、後年のようなマルクス主義的方法論をほとんど使わず、『存在と無』を基調とした一種の変奏曲と言えよう。 第4巻は肖像集(1950年4月 - 1953年4月)である。同時代の芸術家や、作家、哲学者への愛に溢れた文章が多く並ぶ。『生きているジード』(Gide vivant)は、アンドレ・ジッドへの追悼文であり、「彼はわれわれのために生きた」と賞賛している。しかし、質的にも量的にも圧倒的なのは、モーリス・メルロー=ポンティへの追悼文「メルロー・ポンチ」(Merleau-Ponty)である。『レ・タン・モデルヌ』誌の編集を巡りサルトルとメルロ=ポンティは1953年に決裂しているにも関わらず、メルロ=ポンティの思想への豊かな理解は驚嘆に値する。今でもなお優れたメルロ=ポンティ論である。同巻に収録されているカミュへの追悼文でも明らかなように、サルトルは喧嘩別れした相手にもこのような理解と愛の溢れる文章を書いている。他にも大学時代からの友人ポール・ニザンへの追悼文、ジャコメッティ論、ナタリー・サロート論、サルトルには数少ない音楽論も収録されている。 第5巻は植民地問題論集(1954年3月 - 1958年4月)である。この巻から、『シチュアシオン』の性格は大きく変わり、以後政治論文が多くを占める。なお、原副題は「植民地主義と新植民地主義」(Colonialisme et néo-colonialisme)である。 第6巻はマルクス主義の問題Ⅰである。 第7巻はマルクス主義の問題Ⅱである。 第8巻は五月革命をめぐってとして、「ヴェトナム-ラッセル法廷」、「フランスの問題」、「イスラエルとアラブ世界」、「知識人の問題」所収。 第9巻は論集として「自己に関する考察」、「小文集」、「精神分析的対話をめぐって」所収。 第10巻は政治評論・私自身についての談話である。 (ja)
  • 『シチュアシオン』(Situations)は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集であり、10巻からなる。 第1巻は評論集である。フランソワ・モーリヤックの小説技法について小説は一個の人間によって多くの人間のために書かれるものであるのに「作者は神の全知全能を選んだ」としてモーリヤックを厳しく批判した「フランソワ・モーリヤック氏と自由」や、モーリス・ブランショを紹介した「アミナダブ」、ジョルジュ・バタイユに対して「非-知」とは自己欺瞞であるとし、それを神秘主義だと断じた「新しい神秘家」などは有名である。他にアルベール・カミュ、ウィリアム・フォークナー、ジャン・ジロドゥー、フランシス・ポンジュなどの評論がある。またエドムント・フッサールの現象学をフランスに紹介した「フッサールの現象学の根本的理念」なども収録されている。極めて独自の手法を用いたこれらの作家論は、あらたな評論形式を切り開いた物とも言える。 第2巻は文学論(1944年9月 - 1946年12月)である。プルーストをブルジョワ的作家として断罪し、分析的精神から総合的精神への変換を求め、文学の社会参加を呼びかけた「『レ・タン・モデルヌ』創刊の辞』や、文学が権力者に利用されようとしている危機を訴える「文学の国営化」などが収録されているが、最も有名で重要なのは「文学とは何か」(Qu'est-ce que la Littérature?)であろう。ここでは散文家は「語る者」であると定義し、「語る」以上は現代の諸問題について無視するのは「無視するという態度をとる」ということになり、現代の共犯者になる。それゆえ作家は社会の反省的意識の存在になり、反共犯者になるべきであると説いた。この評論は非常に反響をもたらし、日本でも江藤淳が『作家は行動する』においてサルトルの呼びかけに応じたのは有名である。また、「文学とは何か」はサルトルの倫理観を研究する上でも非常に重要な文献で、この中に登場する「呼びかけ」や「贈与」などの概念は注目を浴びている。 第3巻は文明論集(文学とアンガージュマン:1947年2月 - 1947年4月)である。ドイツ占領中のフランスほど自由なことはなかった。何故ならば、何をしてもそれはアンガージュマンになったからだ、という有名な論文「占領下のパリ」、サルトルがアメリカ旅行した際のアメリカ論などが収められている。また、先駆的なスターリン的マルクス主義批判の論文「唯物論と革命」も忘れてはならないだろう。また、ネグリチュードの詩人たちへ寄せた「黒いオルフェ」の存在も重要である。この巻はアンガージュマンの実践が強く窺えるが、後年のようなマルクス主義的方法論をほとんど使わず、『存在と無』を基調とした一種の変奏曲と言えよう。 第4巻は肖像集(1950年4月 - 1953年4月)である。同時代の芸術家や、作家、哲学者への愛に溢れた文章が多く並ぶ。『生きているジード』(Gide vivant)は、アンドレ・ジッドへの追悼文であり、「彼はわれわれのために生きた」と賞賛している。しかし、質的にも量的にも圧倒的なのは、モーリス・メルロー=ポンティへの追悼文「メルロー・ポンチ」(Merleau-Ponty)である。『レ・タン・モデルヌ』誌の編集を巡りサルトルとメルロ=ポンティは1953年に決裂しているにも関わらず、メルロ=ポンティの思想への豊かな理解は驚嘆に値する。今でもなお優れたメルロ=ポンティ論である。同巻に収録されているカミュへの追悼文でも明らかなように、サルトルは喧嘩別れした相手にもこのような理解と愛の溢れる文章を書いている。他にも大学時代からの友人ポール・ニザンへの追悼文、ジャコメッティ論、ナタリー・サロート論、サルトルには数少ない音楽論も収録されている。 第5巻は植民地問題論集(1954年3月 - 1958年4月)である。この巻から、『シチュアシオン』の性格は大きく変わり、以後政治論文が多くを占める。なお、原副題は「植民地主義と新植民地主義」(Colonialisme et néo-colonialisme)である。 第6巻はマルクス主義の問題Ⅰである。 第7巻はマルクス主義の問題Ⅱである。 第8巻は五月革命をめぐってとして、「ヴェトナム-ラッセル法廷」、「フランスの問題」、「イスラエルとアラブ世界」、「知識人の問題」所収。 第9巻は論集として「自己に関する考察」、「小文集」、「精神分析的対話をめぐって」所収。 第10巻は政治評論・私自身についての談話である。 (ja)
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  • 『シチュアシオン』(Situations)は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集であり、10巻からなる。 第1巻は評論集である。フランソワ・モーリヤックの小説技法について小説は一個の人間によって多くの人間のために書かれるものであるのに「作者は神の全知全能を選んだ」としてモーリヤックを厳しく批判した「フランソワ・モーリヤック氏と自由」や、モーリス・ブランショを紹介した「アミナダブ」、ジョルジュ・バタイユに対して「非-知」とは自己欺瞞であるとし、それを神秘主義だと断じた「新しい神秘家」などは有名である。他にアルベール・カミュ、ウィリアム・フォークナー、ジャン・ジロドゥー、フランシス・ポンジュなどの評論がある。またエドムント・フッサールの現象学をフランスに紹介した「フッサールの現象学の根本的理念」なども収録されている。極めて独自の手法を用いたこれらの作家論は、あらたな評論形式を切り開いた物とも言える。 第5巻は植民地問題論集(1954年3月 - 1958年4月)である。この巻から、『シチュアシオン』の性格は大きく変わり、以後政治論文が多くを占める。なお、原副題は「植民地主義と新植民地主義」(Colonialisme et néo-colonialisme)である。 第6巻はマルクス主義の問題Ⅰである。 第7巻はマルクス主義の問題Ⅱである。 (ja)
  • 『シチュアシオン』(Situations)は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集であり、10巻からなる。 第1巻は評論集である。フランソワ・モーリヤックの小説技法について小説は一個の人間によって多くの人間のために書かれるものであるのに「作者は神の全知全能を選んだ」としてモーリヤックを厳しく批判した「フランソワ・モーリヤック氏と自由」や、モーリス・ブランショを紹介した「アミナダブ」、ジョルジュ・バタイユに対して「非-知」とは自己欺瞞であるとし、それを神秘主義だと断じた「新しい神秘家」などは有名である。他にアルベール・カミュ、ウィリアム・フォークナー、ジャン・ジロドゥー、フランシス・ポンジュなどの評論がある。またエドムント・フッサールの現象学をフランスに紹介した「フッサールの現象学の根本的理念」なども収録されている。極めて独自の手法を用いたこれらの作家論は、あらたな評論形式を切り開いた物とも言える。 第5巻は植民地問題論集(1954年3月 - 1958年4月)である。この巻から、『シチュアシオン』の性格は大きく変わり、以後政治論文が多くを占める。なお、原副題は「植民地主義と新植民地主義」(Colonialisme et néo-colonialisme)である。 第6巻はマルクス主義の問題Ⅰである。 第7巻はマルクス主義の問題Ⅱである。 (ja)
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  • シチュアシオン (ja)
  • シチュアシオン (ja)
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