道奥菊多国造(みちのおくのきくたのくにのみやつこ)は、菊多国を支配したとされる国造。 国造の領域は後の菊多郡、現在の福島県いわき市の南部を中心とする地域とみられるが、後に多珂国(助川から熊川まで)の一角に加わった。律令制が敷かれた時、当初は常陸国に編入され、その北限が「苦麻」こと熊川とされたが、後に陸奥国へ編入された。この経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進が始まるまでヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷と対峙し、勿来関に先立つ菊多関があったとされる。