東北陸軍講武堂(とうほくりくぐんこうぶどう)は、清朝末期から中華民国(北京政府)期にかけて奉天に存在した陸軍軍官学校である。その時期によって盛京講武堂(奉天講武堂)・東三省講武堂・東三省陸軍講武堂・東北陸軍講武堂と名を変えるが、一貫して中国の近代軍隊の充実のため日本でいう陸軍士官学校に相当する役割を担っており、最盛期には雲南陸軍講武堂・保定陸軍軍官学校・黄埔軍官学校と並んで「四大軍官学校」とも称された。1931年の満州事変によって奉天が日本軍の占領下に置かれると共に消滅した。