尾藤 二洲(びとう じしゅう/にしゅう、延享2年10月8日〈1745年11月1日〉 - 文化10年12月4日〈1814年1月24日〉)は、江戸時代後期の儒学者。名は孝肇、字は志尹、通称は良佐、別号は約山。 柴野栗山・古賀精里とともに寛政の三博士と呼ばれる。妻は儒学者飯岡義斎の娘の梅月(直子)。妻の姉が頼山陽の母である頼梅颸であるため、頼山陽は甥にあたる。