大衆文芸映画社(たいしゅうぶんげいえいがしゃ、1931年9月 設立 - 1932年7月 活動停止)は、かつて京都に存在した映画会社である。高村正次が直木三十五の協力を得て設立、新興キネマの併映作品を製作したが、1年足らずで製作を停止した。「大衆文芸」というコンセプトが直木のものであり、大衆文学を中心に映画化した。