大久保忠重(おおくぼ ただしげ)は、大久保玄蕃知行所の2代目領主、上級旗本。通称は四郎左衛門。 父・忠成から5000石を相続し、天和2年(1682年)に79歳で亡くなる。寛文10年(1670年)に家を継いだ時は67歳で、元和8年(1622年)から寛文元年(1661年)までの40年間は空白期間となっている。 歴代大久保玄蕃家では珍しく、官位を持ったとの記録は無い。