大久保 忠兼(おおくぼ ただかね)は、大久保玄蕃知行所の3代目当主、上級旗本。5000石を相続し、出世を重ね1700石加増され、知行地は6700石となった。従五位下・玄蕃頭も叙任し、大久保玄蕃頭忠兼と呼ばれる。 領土の瀬名に貯水池の弁天池を造営した。忠兼の妻(牧野信成の娘)が夢のお告げで弁天様に、上野の不忍池に倣って造れと言われたという伝説がある。詳しくは大久保玄蕃知行所の「瀬名の胸形神社と弁天池」を参照。