ミハイル・アンドレーエヴィチ・スースロフ(ロシア語: Михаил Андреевич Суслов、ラテン文字転写:Mikhail Andreevich Suslov、1902年11月21日 - 1982年1月25日)は、ソビエト連邦の政治家。フルシチョフ、ブレジネフ時代のソ連共産党イデオロギー担当書記(第二書記)を務め、事実上のソ連ナンバー2としてクレムリンに君臨し、その黒幕的な役割から「灰色の枢機卿」、「陰の実力者」の異名を取った。