エムス電報事件(エムスでんぽうじけん)は、1870年7月13日に発生した、プロイセン国王(北ドイツ連邦主席)ヴィルヘルム1世が静養先のバート・エムスから送信した、フランス大使の非礼を伝える電報を、プロイセン王国首相(北ドイツ連邦宰相)オットー・フォン・ビスマルクが編集し国内外に公表した事件である。 当時のスペイン王位継承問題や両国国民の対立を背景に、普仏両国の国民意識(ナショナリズム)を刺激し、普仏戦争開戦を惹起した。