アルブレヒト2世(Albrecht II., 1397年8月10日 - 1439年10月27日)は、ルドルフ1世から続く10代目にして最後の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1438年 - 1439年)、ハプスブルク家では4人目の王でフリードリヒ美王以来108年ぶり、単独君主に限ればアルブレヒト1世以来130年ぶりに神聖ローマ帝国の君主になった。ただし選出こそされたもののローマ王としても皇帝としても正式に戴冠していない。オーストリア公としてはアルブレヒト5世。皇帝ジギスムントの娘婿でその後を継いでハンガリー王アルベルト(Albert)、ボヘミア王アルブレヒトとしても即位し、こちらは両方とも正式に戴冠している。即位間もなく崩御してしまったが、次のローマ王で同じハプスブルク家の又従弟フリードリヒ3世が長命を保ち世襲王朝樹立に成功したため、結果的にこのアルブレヒト2世からハプスブルク家が王位・帝位を保持していることになった。

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  • アルブレヒト2世(Albrecht II., 1397年8月10日 - 1439年10月27日)は、ルドルフ1世から続く10代目にして最後の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1438年 - 1439年)、ハプスブルク家では4人目の王でフリードリヒ美王以来108年ぶり、単独君主に限ればアルブレヒト1世以来130年ぶりに神聖ローマ帝国の君主になった。ただし選出こそされたもののローマ王としても皇帝としても正式に戴冠していない。オーストリア公としてはアルブレヒト5世。皇帝ジギスムントの娘婿でその後を継いでハンガリー王アルベルト(Albert)、ボヘミア王アルブレヒトとしても即位し、こちらは両方とも正式に戴冠している。即位間もなく崩御してしまったが、次のローマ王で同じハプスブルク家の又従弟フリードリヒ3世が長命を保ち世襲王朝樹立に成功したため、結果的にこのアルブレヒト2世からハプスブルク家が王位・帝位を保持していることになった。 (ja)
  • アルブレヒト2世(Albrecht II., 1397年8月10日 - 1439年10月27日)は、ルドルフ1世から続く10代目にして最後の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1438年 - 1439年)、ハプスブルク家では4人目の王でフリードリヒ美王以来108年ぶり、単独君主に限ればアルブレヒト1世以来130年ぶりに神聖ローマ帝国の君主になった。ただし選出こそされたもののローマ王としても皇帝としても正式に戴冠していない。オーストリア公としてはアルブレヒト5世。皇帝ジギスムントの娘婿でその後を継いでハンガリー王アルベルト(Albert)、ボヘミア王アルブレヒトとしても即位し、こちらは両方とも正式に戴冠している。即位間もなく崩御してしまったが、次のローマ王で同じハプスブルク家の又従弟フリードリヒ3世が長命を保ち世襲王朝樹立に成功したため、結果的にこのアルブレヒト2世からハプスブルク家が王位・帝位を保持していることになった。 (ja)
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