アナ・コープ・ハーツホン(Anna Cope Hartshorne、1860年1月8日〈安政6年12月16日〉 - 1957年〈昭和32年〉10月2日)は、日本で活動したアメリカ人教育者。 1900年(明治33年)に日本で女子英学塾(現:津田塾大学)を創設した津田梅子を助けるため、1902年(明治35年)に来日し、1940年(昭和15年)にアメリカに一時帰国するまでの38年間、一度も報酬を受け取らずに塾で教鞭を執り続け、関東大震災によって存亡の危機に立たされた塾を救い、志半ばで病に倒れた梅子の日本の女子教育への思いを引き継いで塾に生涯を捧げた。 津田塾大学・小平キャンパス(東京都小平市。アナの尽力によって建設が可能になった。)の本館は、アナの塾への献身を称えて「ハーツホン・ホール」と命名されており、東京都選定歴史的建造物に指定されている。