Data Table
PropertyValue
dbpedia-owl:abstract
  • 中御門家中御門家(なかのみかどけ)は、藤原北家勧修寺流の公家。名家、侯爵。本項にて解説。中御門家(なかみかどけ)は、藤原北家中御門流の公家。藤原道長の二男、右大臣藤原頼宗の後裔。別称の松木家を参照のこと。中御門家(なかのみかどけ)は、名家の家格を有する公家。藤原北家勧修寺流、勧修寺庶流。家紋は竹に雀。江戸時代の家禄は、260石。幕末には200石。明治維新後、伯爵を経て侯爵。鎌倉時代中期、勧修寺経俊(吉田経俊)の四男、経継により創設される。幕末、明治維新期の経之は、国事に奔走し、議定、会計事務総督、留守長官などを歴任した。 1884年(明治17年)7月7日伯爵の位を賜り、更に 1888年(明治21年)1月17日侯爵に陞爵した。経之の子、経明には嗣子が無く、萬千子(まちこ)が中御門家を相続、婦人が戸主となったため、侯爵位を返上したが、分家から経恭(つねやす)を養子に迎えて、改めて旧に復した。また、経俊の弟である吉田為経の子・経任も「中御門」の家名を名乗っている。後嵯峨天皇の腹心であった経任在世中は、従兄弟である経継系よりも羽振りが良かったものの政敵も多く南北朝時代初期に出た為治を最後に公卿が出る事なく没落する事となる。
dbpedia-owl:wikiPageID
  • 509063 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageLength
  • 6323 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageOutDegree
  • 132 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageRevisionID
  • 58241182 (xsd:integer)
dbpedia-owl:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:人物
prop-ja:出身地
prop-ja:家名
  • 中御門家
prop-ja:家祖
prop-ja:家紋名称
  • 竹に雀
prop-ja:支流
prop-ja:本姓
  • 藤原北家勧修寺流庶流
prop-ja:根拠地
  • 山城国
prop-ja:種別
dcterms:subject
rdfs:comment
  • 中御門家中御門家(なかのみかどけ)は、藤原北家勧修寺流の公家。名家、侯爵。本項にて解説。中御門家(なかみかどけ)は、藤原北家中御門流の公家。藤原道長の二男、右大臣藤原頼宗の後裔。別称の松木家を参照のこと。中御門家(なかのみかどけ)は、名家の家格を有する公家。藤原北家勧修寺流、勧修寺庶流。家紋は竹に雀。江戸時代の家禄は、260石。幕末には200石。明治維新後、伯爵を経て侯爵。鎌倉時代中期、勧修寺経俊(吉田経俊)の四男、経継により創設される。幕末、明治維新期の経之は、国事に奔走し、議定、会計事務総督、留守長官などを歴任した。 1884年(明治17年)7月7日伯爵の位を賜り、更に 1888年(明治21年)1月17日侯爵に陞爵した。経之の子、経明には嗣子が無く、萬千子(まちこ)が中御門家を相続、婦人が戸主となったため、侯爵位を返上したが、分家から経恭(つねやす)を養子に迎えて、改めて旧に復した。また、経俊の弟である吉田為経の子・経任も「中御門」の家名を名乗っている。後嵯峨天皇の腹心であった経任在世中は、従兄弟である経継系よりも羽振りが良かったものの政敵も多く南北朝時代初期に出た為治を最後に公卿が出る事なく没落する事となる。
rdfs:label
  • 中御門家
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbpedia-owl:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:支流 of
is prop-ja:氏族 of
is foaf:primaryTopic of