旅立ちJR号(たびだちJRごう)は、国鉄分割民営化によるJRグループ発足を記念して、1987年(昭和62年)3月31日から翌4月1日にかけて運転された臨時列車である。東京・上野の両駅から、民営化後の旅客会社6社の名前を冠した6本の列車がそれぞれの本社所在地駅へ向けて運転された。ただし東日本旅客鉄道(JR東日本)の本社は東京であったため、「旅立ちJR東日本号」は東北地域本社(1998年に仙台支社に改称)所在地の仙台駅まで運転された。また瀬戸大橋と青函トンネルは未開通であったことから、「旅立ちJR四国号」は宇野駅まで運転して宇高連絡船へ連絡し、「旅立ちJR北海道号」は青森駅まで運転して青函連絡船へ連絡した後、北海道内を別の列車で札幌駅まで継走した。いずれの列車も杉浦喬也日本国有鉄道(国鉄)総裁から新会社の社長への親書と鍵を載せていた。また応募者の中から抽選された乗客が乗車しており、これは国鉄からの招待という扱いで無料であった。この列車の案内と募集要項は、「交通公社の時刻表」1987年3月号に掲載された。

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  • 旅立ちJR号(たびだちJRごう)は、国鉄分割民営化によるJRグループ発足を記念して、1987年(昭和62年)3月31日から翌4月1日にかけて運転された臨時列車である。東京・上野の両駅から、民営化後の旅客会社6社の名前を冠した6本の列車がそれぞれの本社所在地駅へ向けて運転された。ただし東日本旅客鉄道(JR東日本)の本社は東京であったため、「旅立ちJR東日本号」は東北地域本社(1998年に仙台支社に改称)所在地の仙台駅まで運転された。また瀬戸大橋と青函トンネルは未開通であったことから、「旅立ちJR四国号」は宇野駅まで運転して宇高連絡船へ連絡し、「旅立ちJR北海道号」は青森駅まで運転して青函連絡船へ連絡した後、北海道内を別の列車で札幌駅まで継走した。いずれの列車も杉浦喬也日本国有鉄道(国鉄)総裁から新会社の社長への親書と鍵を載せていた。また応募者の中から抽選された乗客が乗車しており、これは国鉄からの招待という扱いで無料であった。この列車の案内と募集要項は、「交通公社の時刻表」1987年3月号に掲載された。 (ja)
  • 旅立ちJR号(たびだちJRごう)は、国鉄分割民営化によるJRグループ発足を記念して、1987年(昭和62年)3月31日から翌4月1日にかけて運転された臨時列車である。東京・上野の両駅から、民営化後の旅客会社6社の名前を冠した6本の列車がそれぞれの本社所在地駅へ向けて運転された。ただし東日本旅客鉄道(JR東日本)の本社は東京であったため、「旅立ちJR東日本号」は東北地域本社(1998年に仙台支社に改称)所在地の仙台駅まで運転された。また瀬戸大橋と青函トンネルは未開通であったことから、「旅立ちJR四国号」は宇野駅まで運転して宇高連絡船へ連絡し、「旅立ちJR北海道号」は青森駅まで運転して青函連絡船へ連絡した後、北海道内を別の列車で札幌駅まで継走した。いずれの列車も杉浦喬也日本国有鉄道(国鉄)総裁から新会社の社長への親書と鍵を載せていた。また応募者の中から抽選された乗客が乗車しており、これは国鉄からの招待という扱いで無料であった。この列車の案内と募集要項は、「交通公社の時刻表」1987年3月号に掲載された。 (ja)
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