里見 義重(さとみ よししげ、元亀元年(1570年)? - 元和8年(1622年))は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての人物。里見義弘の嫡男で、幼名は梅王丸(うめおうまる)。母は古河公方足利晴氏の娘。安房里見氏当主だったとされるが、後に異母兄(叔父とも)里見義頼によって無理やり出家させられて、淳泰(じゅんたい)と名乗ったという。