貞辰親王(さだときしんのう)は、清和天皇の第七皇子。母は藤原基経の娘である女御。 貞観17年に親王宣下を受ける。清和天皇の数多くの皇子の中で時の権力者である藤原基経の唯一の外孫であることから、陽成天皇退位後の有力な皇位継承者の一人だったが、結局皇位は光孝天皇から宇多天皇と継承され、貞辰が天皇になることはなかった。 光孝天皇は即位後に子女全員を臣籍降下しているが、これは基経と貞辰に配慮したとする説がある。