西道諸王(せいどうしょおう)は、モンゴル帝国におけるチンギス・カンの諸子(ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、コルゲン)を始祖とする、モンゴル高原西方に領地を持つ諸王家の総称である。史料上では西方諸王、右翼諸王とも記される。 これに対し、チンギス・カンの諸弟(ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギン、ベルグテイ)を始祖とする、モンゴル高原東方に領地を持つ諸王家を東道諸王、東方諸王、左翼諸王とも呼称する。 東道諸王が基本的にカアン(ハーン)の勢力下に留まり続けたのに対し、中央アジア・東欧に大規模な領土を得た西道諸王は半独立的な政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、オゴデイ・ウルス)を形成した。モンゴル帝国の解体後も、その末裔はテュルク化・イスラーム化した土着の王朝を樹立していったため、東欧・中央アジア・西アジアの歴史に多大な影響を残した。

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  • 西道諸王(せいどうしょおう)は、モンゴル帝国におけるチンギス・カンの諸子(ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、コルゲン)を始祖とする、モンゴル高原西方に領地を持つ諸王家の総称である。史料上では西方諸王、右翼諸王とも記される。 これに対し、チンギス・カンの諸弟(ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギン、ベルグテイ)を始祖とする、モンゴル高原東方に領地を持つ諸王家を東道諸王、東方諸王、左翼諸王とも呼称する。 東道諸王が基本的にカアン(ハーン)の勢力下に留まり続けたのに対し、中央アジア・東欧に大規模な領土を得た西道諸王は半独立的な政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、オゴデイ・ウルス)を形成した。モンゴル帝国の解体後も、その末裔はテュルク化・イスラーム化した土着の王朝を樹立していったため、東欧・中央アジア・西アジアの歴史に多大な影響を残した。 (ja)
  • 西道諸王(せいどうしょおう)は、モンゴル帝国におけるチンギス・カンの諸子(ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、コルゲン)を始祖とする、モンゴル高原西方に領地を持つ諸王家の総称である。史料上では西方諸王、右翼諸王とも記される。 これに対し、チンギス・カンの諸弟(ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギン、ベルグテイ)を始祖とする、モンゴル高原東方に領地を持つ諸王家を東道諸王、東方諸王、左翼諸王とも呼称する。 東道諸王が基本的にカアン(ハーン)の勢力下に留まり続けたのに対し、中央アジア・東欧に大規模な領土を得た西道諸王は半独立的な政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、オゴデイ・ウルス)を形成した。モンゴル帝国の解体後も、その末裔はテュルク化・イスラーム化した土着の王朝を樹立していったため、東欧・中央アジア・西アジアの歴史に多大な影響を残した。 (ja)
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  • 西道諸王(せいどうしょおう)は、モンゴル帝国におけるチンギス・カンの諸子(ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、コルゲン)を始祖とする、モンゴル高原西方に領地を持つ諸王家の総称である。史料上では西方諸王、右翼諸王とも記される。 これに対し、チンギス・カンの諸弟(ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギン、ベルグテイ)を始祖とする、モンゴル高原東方に領地を持つ諸王家を東道諸王、東方諸王、左翼諸王とも呼称する。 東道諸王が基本的にカアン(ハーン)の勢力下に留まり続けたのに対し、中央アジア・東欧に大規模な領土を得た西道諸王は半独立的な政権(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、オゴデイ・ウルス)を形成した。モンゴル帝国の解体後も、その末裔はテュルク化・イスラーム化した土着の王朝を樹立していったため、東欧・中央アジア・西アジアの歴史に多大な影響を残した。 (ja)
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  • 西道諸王 (ja)
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