西園八校尉(さいえんはつこうい)は、中国の後漢末期、188年に置かれた官職の総称。また西園三軍という。皇帝直属の部隊である「西園軍」を創設し、その「西園軍」を率いる人物として、霊帝に寵愛された蹇碩(『三国志演義』では十常侍の一人とされる)、袁紹・の3名を中心にすえた。古くは、近年では・等によって研究が進んだ。特に石井の指摘は重要な意味を多く含んでいる。