藤木 幸太郎(ふじき こうたろう、1892年2月18日 - 1980年11月1日)は、横浜・戸部生まれの港湾事業家。港湾荷役業の藤木組(現在の藤木企業)を立ち上げ、1955年に業界団体の会長に就任。港湾労働法の成立、諸制度の改革、近代化に尽力した。 日本初のメーデー(1920年)を開催した横浜港沖仲仕同盟会への賛助、関東大震災(1923年)の救援活動、米軍による港湾施設接収(1945年〜)を耐え抜く等、横浜港の歴史とともに歩んだことから「ミナトのおやじ」と呼ばれた。