藤塚 知明(ふじつか ともあき、1737年〈元文2年〉 - 1799年〈寛政11年〉または1738年〈元文3年〉 - 1800年〈寛政12年〉)は、江戸時代中期の神職、学者である。式部を称したことから藤塚式部とも。元々は漁師の下に生まれたが、陸奥国仙台藩の鹽竈神社の神職の養子となり、その地位を継いだ。神仏習合への反発から社僧と対立して事件を起こし、幽閉された後に死去した。林子平など当時の文化人と関りがあり、いくつかの著書を残した。