藤原 文行(ふじわら の ふみゆき、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。藤原北家秀郷流、鎮守府将軍・藤原文脩の子。官位は従五位下・左衛門尉。 『御堂関白記』によれば寛弘3年(1006年)6月16日にと争ったために検非違使に追われ、藤原道長を訪ねている。22日に罪名が奏上されたという。他に検非違使、下野守を歴任した。