羽田 正見(はねだ まさみ、文政9年(1826年)9月 - 明治26年(1893年))は幕末の幕臣。江戸湯島生まれ、羽田利見の子。通称十左衛門。のちに名を満佐美とした。号は安堂。 父の利見が病の為、佐渡奉行を免職となり嘉永7年(1854年)家督を継いだ。出羽国尾花沢、但馬国生野や大坂、陸奥国小名浜(安政3年 - 5年)などの代官、そして1864年に目付となった。この時、大目付黒川盛泰とともに松平頼徳の切腹申渡しを行った。その後、勘定吟味役を経て、慶応3年(1867年)8月17日勘定奉行並に就任し11月5日迄務め、作事奉行並となった。江戸開城後は駿府郊外の北安東村で帰農し子弟数百人を教育した。明治26年に68歳で没した。 著書に「貨幣通考」などがある。
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