綱脇 龍妙(つなわき りゅうみょう、1876年1月24日 - 1970年12月5日)は、日蓮宗の僧侶。1906年(明治39年)に身延山久遠寺に参拝したおり、ハンセン病患者が悲惨なる生活をしているのを目撃、時の身延山法主の許可を得て河原より13名を収容、身延深敬(じんきょう)病院を作った。彼は全国を勧進し、費用を獲得し、十万一厘講を組織した。