第2期本因坊戦(だい2きほんいんぼうせん)は、第1期本因坊戦の終了後の1941年に開始され、1943年に挑戦者橋本宇太郎が、第1期本因坊利仙(関山利一)と挑戦手合五番勝負を行った。この第2局途中で関山が病気棄権し、橋本が第2期本因坊となり本因坊昭宇を号した。 毎日新聞との契約金は当初9万7千2百円としたが、その後減額して8万円となった。