神官王像 (英語: Priest-King) は、1925年から26年にかけて、パキスタンのシンド州にある青銅器時代の古代都市、モヘンジョダロの発掘中に発見された胸像である。 この像はインダス文明における「最も有名な石の彫刻」とされており、モヘンジョダロが存在した時代の後期、おそらく紀元前2000年から1900年頃に作られたと考えられている。現在はパキスタン国立博物館に収蔵されている。博物学者のマティエとランバーグ・カルロフスキーは「この像の作者は、写実主義な詳細と様式化されたフォルムを組み合わせて、実際よりもはるかに大きく見える強力なイメージを実現している」と評価している 。彫刻は不完全な部分があり、おそらく未完成である。像の高さは17.5センチメートル (6.9 in)で、頭に飾りをつけ、ひげを生やした男性を表している。髪はまっすぐに梳かされ、腕章と、穴のある三つ葉模様のマント、赤の痕跡を示す腕輪を身に着けている。また目の部分にはもともと宝石が嵌め込まれていた可能性がある。

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  • 神官王像 (英語: Priest-King) は、1925年から26年にかけて、パキスタンのシンド州にある青銅器時代の古代都市、モヘンジョダロの発掘中に発見された胸像である。 この像はインダス文明における「最も有名な石の彫刻」とされており、モヘンジョダロが存在した時代の後期、おそらく紀元前2000年から1900年頃に作られたと考えられている。現在はパキスタン国立博物館に収蔵されている。博物学者のマティエとランバーグ・カルロフスキーは「この像の作者は、写実主義な詳細と様式化されたフォルムを組み合わせて、実際よりもはるかに大きく見える強力なイメージを実現している」と評価している 。彫刻は不完全な部分があり、おそらく未完成である。像の高さは17.5センチメートル (6.9 in)で、頭に飾りをつけ、ひげを生やした男性を表している。髪はまっすぐに梳かされ、腕章と、穴のある三つ葉模様のマント、赤の痕跡を示す腕輪を身に着けている。また目の部分にはもともと宝石が嵌め込まれていた可能性がある。 現在、神官王(Priest-King)という名前で一般に知られているものの、この像が神官、あるいは王を模したものであると判断し得る根拠は全くない。発掘調査を主導したは、この像は「司祭」を表しているのではないかと推測した。当時の考古学調査の責任者であるジョン・マーシャル卿は「王の司祭」であろうと考え、その後継者であるモーティマー・ウィーラー卿が「神官王(Priest-King)」という名称を採用した 。パキスタン国立博物館に展示されているものはレプリカで、オリジナルは厳重に保管されている。 (ja)
  • 神官王像 (英語: Priest-King) は、1925年から26年にかけて、パキスタンのシンド州にある青銅器時代の古代都市、モヘンジョダロの発掘中に発見された胸像である。 この像はインダス文明における「最も有名な石の彫刻」とされており、モヘンジョダロが存在した時代の後期、おそらく紀元前2000年から1900年頃に作られたと考えられている。現在はパキスタン国立博物館に収蔵されている。博物学者のマティエとランバーグ・カルロフスキーは「この像の作者は、写実主義な詳細と様式化されたフォルムを組み合わせて、実際よりもはるかに大きく見える強力なイメージを実現している」と評価している 。彫刻は不完全な部分があり、おそらく未完成である。像の高さは17.5センチメートル (6.9 in)で、頭に飾りをつけ、ひげを生やした男性を表している。髪はまっすぐに梳かされ、腕章と、穴のある三つ葉模様のマント、赤の痕跡を示す腕輪を身に着けている。また目の部分にはもともと宝石が嵌め込まれていた可能性がある。 現在、神官王(Priest-King)という名前で一般に知られているものの、この像が神官、あるいは王を模したものであると判断し得る根拠は全くない。発掘調査を主導したは、この像は「司祭」を表しているのではないかと推測した。当時の考古学調査の責任者であるジョン・マーシャル卿は「王の司祭」であろうと考え、その後継者であるモーティマー・ウィーラー卿が「神官王(Priest-King)」という名称を採用した 。パキスタン国立博物館に展示されているものはレプリカで、オリジナルは厳重に保管されている。 (ja)
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  • 神官王像 (英語: Priest-King) は、1925年から26年にかけて、パキスタンのシンド州にある青銅器時代の古代都市、モヘンジョダロの発掘中に発見された胸像である。 この像はインダス文明における「最も有名な石の彫刻」とされており、モヘンジョダロが存在した時代の後期、おそらく紀元前2000年から1900年頃に作られたと考えられている。現在はパキスタン国立博物館に収蔵されている。博物学者のマティエとランバーグ・カルロフスキーは「この像の作者は、写実主義な詳細と様式化されたフォルムを組み合わせて、実際よりもはるかに大きく見える強力なイメージを実現している」と評価している 。彫刻は不完全な部分があり、おそらく未完成である。像の高さは17.5センチメートル (6.9 in)で、頭に飾りをつけ、ひげを生やした男性を表している。髪はまっすぐに梳かされ、腕章と、穴のある三つ葉模様のマント、赤の痕跡を示す腕輪を身に着けている。また目の部分にはもともと宝石が嵌め込まれていた可能性がある。 (ja)
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