磐井 彦太郎(いわい ひこたろう)は、明治時代の東京ので、の発明者。 安政6年1月(1859年2月)に、萬代萬衛門の長男として生まれ、後に姓を磐井に改める。望岳・桂嬢等の号を持つ。13、4歳の頃にに入学するが、途中で病気により退学。明治12、3年(1879・80年)頃に工部省に出仕して、に勤務する。 明治18年(1885年)に欧米に渡航し、の調査に従事、没頭する。明治22年(1889年)に帰国後、幾多も試験を積み重ねて蛍光灯を発明して特許を取る。これを「磐井燈」と名付け、その製造販売で成功した。 狂歌を好み、狂歌園噪々子を名乗った。 編書に『聯珠叢書』がある。