矢作藩(やはぎはん)は、下総国香取郡の「矢作領」と呼ばれた地域(現在の千葉県香取市周辺)を治めた藩。徳川家康の関東入国時に鳥居元忠が配置され4万石を治めたが、伏見城の戦いで元忠が戦死し、その功績で鳥居家は加増のうえ転出したため廃藩となった。その後、矢作領は幕府領・旗本領などとして細分化される。1630年に徳川家光側近の三浦正次が1万石の大名となった際に「矢作」を居所としたが、転封により短期間で廃藩となっている。