盧 弼(ろ ひつ)は、中国・唐の詩人。別名は盧汝弼。字は子階(しかい)。蒲州河東県(現在の山西省運城市永済市)の人。本貫は范陽郡涿県。祖父は盧綸。父は。 進士に及第して祠部員外郎・知制誥となり、昭宗の天祐元年(904年)、朱全忠(後の五代後梁の太祖)が昭宗に強要して洛陽へ遷都したとき随行したが、世の乱れを知って辞職し、上党に長寓した。その後、権臣の河東節度使李克用を頼り、河東節度副使となったが、謹直な性格を讃えられた。 作品に、『李秀才(りしゅうさい)の「辺庭四時怨(へんていしじえん)」に和す』(七言絶句)がある。

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  • 盧 弼(ろ ひつ)は、中国・唐の詩人。別名は盧汝弼。字は子階(しかい)。蒲州河東県(現在の山西省運城市永済市)の人。本貫は范陽郡涿県。祖父は盧綸。父は。 進士に及第して祠部員外郎・知制誥となり、昭宗の天祐元年(904年)、朱全忠(後の五代後梁の太祖)が昭宗に強要して洛陽へ遷都したとき随行したが、世の乱れを知って辞職し、上党に長寓した。その後、権臣の河東節度使李克用を頼り、河東節度副使となったが、謹直な性格を讃えられた。 作品に、『李秀才(りしゅうさい)の「辺庭四時怨(へんていしじえん)」に和す』(七言絶句)がある。 (ja)
  • 盧 弼(ろ ひつ)は、中国・唐の詩人。別名は盧汝弼。字は子階(しかい)。蒲州河東県(現在の山西省運城市永済市)の人。本貫は范陽郡涿県。祖父は盧綸。父は。 進士に及第して祠部員外郎・知制誥となり、昭宗の天祐元年(904年)、朱全忠(後の五代後梁の太祖)が昭宗に強要して洛陽へ遷都したとき随行したが、世の乱れを知って辞職し、上党に長寓した。その後、権臣の河東節度使李克用を頼り、河東節度副使となったが、謹直な性格を讃えられた。 作品に、『李秀才(りしゅうさい)の「辺庭四時怨(へんていしじえん)」に和す』(七言絶句)がある。 (ja)
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  • 盧 弼(ろ ひつ)は、中国・唐の詩人。別名は盧汝弼。字は子階(しかい)。蒲州河東県(現在の山西省運城市永済市)の人。本貫は范陽郡涿県。祖父は盧綸。父は。 進士に及第して祠部員外郎・知制誥となり、昭宗の天祐元年(904年)、朱全忠(後の五代後梁の太祖)が昭宗に強要して洛陽へ遷都したとき随行したが、世の乱れを知って辞職し、上党に長寓した。その後、権臣の河東節度使李克用を頼り、河東節度副使となったが、謹直な性格を讃えられた。 作品に、『李秀才(りしゅうさい)の「辺庭四時怨(へんていしじえん)」に和す』(七言絶句)がある。 (ja)
  • 盧 弼(ろ ひつ)は、中国・唐の詩人。別名は盧汝弼。字は子階(しかい)。蒲州河東県(現在の山西省運城市永済市)の人。本貫は范陽郡涿県。祖父は盧綸。父は。 進士に及第して祠部員外郎・知制誥となり、昭宗の天祐元年(904年)、朱全忠(後の五代後梁の太祖)が昭宗に強要して洛陽へ遷都したとき随行したが、世の乱れを知って辞職し、上党に長寓した。その後、権臣の河東節度使李克用を頼り、河東節度副使となったが、謹直な性格を讃えられた。 作品に、『李秀才(りしゅうさい)の「辺庭四時怨(へんていしじえん)」に和す』(七言絶句)がある。 (ja)
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  • 盧弼 (ja)
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