白根金山(しらねきんざん)は、かつて秋田県鹿角市十和田瀬田石にあった鉱山。江戸時代初期には南部藩内の鹿角地方で江戸時代初期に次々に発見される金山の中で、最も早く開発された金山で、南部藩毛馬内通の米代川北岸の秋田藩との藩境にあった。花輪線の末広駅の北方3kmに位置し、旧鉱山施設や露天掘り跡は車窓や、国道103号(国道104号、国道285号)からも遠望できる。民謡『南部牛追唄』で「田舎なれども南部の国は西も東も金の山」と歌われる金山の一つであったが、次第に衰退していき寛文(1661-1673年)の頃には銅を生産するに至った。 藩政末期には白根銅山はほとんど廃山状態であった。明治初期には白根銅山の地続きで山頂部にあった旧駒木金山の跡に発見された小真木鉱山が開発され、白根の名は一地区の鉱名となってしまった。小真木鉱山は1978年(昭和53年)5月に閉山となるも、現在も鉱毒処理施設が稼働している。