田村仕置(たむらしおき)は、天正14年(1586年)の陸奥国三春城主田村清顕の死去後の田村氏を巡る内紛に対して、2年後の天正16年(1588年)に清顕の娘婿である伊達政宗が行った措置のこと。この内紛は田村氏の縁戚である伊達氏と相馬氏、田村氏と所領争いを続けてきた岩城氏が介入し、郡山合戦の原因ともなった。