田中 融二(たなか ゆうじ、1926年10月18日 - 1998年5月12日)は、日本の翻訳家。東京・千駄ケ谷生まれ。 大学予科から生徒となり、東京大空襲で父を、広島の原爆で母を失い、敗戦後一橋大学卒業。 1952年日本新聞協会、1963年ダイヤモンド・タイムに勤務。さまざまな職業に就きつつ翻訳をし1953年「ソビエト無銭旅行」で翻訳家としてデビュー。1957年沼田茂の名で「或る遺書」により文学界新人賞受賞。小説は翌年「鶏」を『文學界』に発表したのみで、以後翻訳家として生計を立てる。推理もの、SF、ビジネスものなど多数を翻訳、E・S・ガードナー、レン・デイトンなどが多かった。 最後はがんを宣告され、北海道の小樽で自動車に排気ガスを引き込んで自殺した。親友の宮田昇に予告していたという(宮田『戦後「翻訳」風雲録』)。