用章廷俊(ようしょう てんしゅん、懶庵廷俊、大徳3年(1299年) - 洪武元年(1368年)は、元末から明初にかけて活動した臨済宗大慧派の禅僧である。大慧下7世。 大徳3年(1299年)に饒州楽平県にて生誕。笑隠大訢の法を嗣いだ。別号を懶庵と称する。蘇州白馬寺、杭州中天竺寺を経て銭塘浄慈寺の住持となった。日本より来元した無我省吾や椿庭海寿を接化している。洪武元年(1368年)示寂。根津美術館所蔵の墨蹟は重要美術品に指定されている。

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  • 用章廷俊(ようしょう てんしゅん、懶庵廷俊、大徳3年(1299年) - 洪武元年(1368年)は、元末から明初にかけて活動した臨済宗大慧派の禅僧である。大慧下7世。 大徳3年(1299年)に饒州楽平県にて生誕。笑隠大訢の法を嗣いだ。別号を懶庵と称する。蘇州白馬寺、杭州中天竺寺を経て銭塘浄慈寺の住持となった。日本より来元した無我省吾や椿庭海寿を接化している。洪武元年(1368年)示寂。根津美術館所蔵の墨蹟は重要美術品に指定されている。 (ja)
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