無我省吾(むがしょうご、延慶3年(1310年) - 洪武14年2月(永徳元年、1381年))は、日本及び元、明で活動した臨済宗大応派の禅匠である。 延慶3年(1310年)に京都で生誕し、早くに出家して仏道を学ぶ。その後大徳寺で宗峰妙超に参禅し、龍翔寺の月堂宗規の接化を受けた。月堂宗規に従い崇福寺に移り大悟する。貞和4年(1348年)、渡海して承天寺仲銘克新、浄慈寺用章廷俊、霊隠寺用貞輔良、天寧寺楚石梵琦、本覚寺了庵清欲ならびに育王寺月江正印の許に歴参した後、牛頭山で月堂宗規の法を嗣ぐことを表明した。至正17年(1357年)に帰国するが、月堂宗規の示寂に伴い貞治2年(1363年)に再び元に渡る。洪武6年(1373年)洪武帝に説法を行い、同14年に示寂。洪武帝は菩薩号を贈諡した。

Property Value
dbo:abstract
  • 無我省吾(むがしょうご、延慶3年(1310年) - 洪武14年2月(永徳元年、1381年))は、日本及び元、明で活動した臨済宗大応派の禅匠である。 延慶3年(1310年)に京都で生誕し、早くに出家して仏道を学ぶ。その後大徳寺で宗峰妙超に参禅し、龍翔寺の月堂宗規の接化を受けた。月堂宗規に従い崇福寺に移り大悟する。貞和4年(1348年)、渡海して承天寺仲銘克新、浄慈寺用章廷俊、霊隠寺用貞輔良、天寧寺楚石梵琦、本覚寺了庵清欲ならびに育王寺月江正印の許に歴参した後、牛頭山で月堂宗規の法を嗣ぐことを表明した。至正17年(1357年)に帰国するが、月堂宗規の示寂に伴い貞治2年(1363年)に再び元に渡る。洪武6年(1373年)洪武帝に説法を行い、同14年に示寂。洪武帝は菩薩号を贈諡した。 (ja)
  • 無我省吾(むがしょうご、延慶3年(1310年) - 洪武14年2月(永徳元年、1381年))は、日本及び元、明で活動した臨済宗大応派の禅匠である。 延慶3年(1310年)に京都で生誕し、早くに出家して仏道を学ぶ。その後大徳寺で宗峰妙超に参禅し、龍翔寺の月堂宗規の接化を受けた。月堂宗規に従い崇福寺に移り大悟する。貞和4年(1348年)、渡海して承天寺仲銘克新、浄慈寺用章廷俊、霊隠寺用貞輔良、天寧寺楚石梵琦、本覚寺了庵清欲ならびに育王寺月江正印の許に歴参した後、牛頭山で月堂宗規の法を嗣ぐことを表明した。至正17年(1357年)に帰国するが、月堂宗規の示寂に伴い貞治2年(1363年)に再び元に渡る。洪武6年(1373年)洪武帝に説法を行い、同14年に示寂。洪武帝は菩薩号を贈諡した。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 4417411 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1144 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 87307751 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:名前
  • 無我省吾 (ja)
  • 無我省吾 (ja)
prop-ja:宗派
prop-ja:寺院
  • 金陵牛頭山 (ja)
  • 金陵牛頭山 (ja)
prop-ja:
  • 月堂宗規 (ja)
  • 月堂宗規 (ja)
prop-ja:没地
  • 金陵牛頭山 (ja)
  • 金陵牛頭山 (ja)
prop-ja:生地
  • 京都府京都市 (ja)
  • 京都府京都市 (ja)
prop-ja:生没年
  • (ja)
  • 延慶3年 - 洪武14年(永徳元年) (ja)
  • (ja)
  • 延慶3年 - 洪武14年(永徳元年) (ja)
dct:subject
rdfs:comment
  • 無我省吾(むがしょうご、延慶3年(1310年) - 洪武14年2月(永徳元年、1381年))は、日本及び元、明で活動した臨済宗大応派の禅匠である。 延慶3年(1310年)に京都で生誕し、早くに出家して仏道を学ぶ。その後大徳寺で宗峰妙超に参禅し、龍翔寺の月堂宗規の接化を受けた。月堂宗規に従い崇福寺に移り大悟する。貞和4年(1348年)、渡海して承天寺仲銘克新、浄慈寺用章廷俊、霊隠寺用貞輔良、天寧寺楚石梵琦、本覚寺了庵清欲ならびに育王寺月江正印の許に歴参した後、牛頭山で月堂宗規の法を嗣ぐことを表明した。至正17年(1357年)に帰国するが、月堂宗規の示寂に伴い貞治2年(1363年)に再び元に渡る。洪武6年(1373年)洪武帝に説法を行い、同14年に示寂。洪武帝は菩薩号を贈諡した。 (ja)
  • 無我省吾(むがしょうご、延慶3年(1310年) - 洪武14年2月(永徳元年、1381年))は、日本及び元、明で活動した臨済宗大応派の禅匠である。 延慶3年(1310年)に京都で生誕し、早くに出家して仏道を学ぶ。その後大徳寺で宗峰妙超に参禅し、龍翔寺の月堂宗規の接化を受けた。月堂宗規に従い崇福寺に移り大悟する。貞和4年(1348年)、渡海して承天寺仲銘克新、浄慈寺用章廷俊、霊隠寺用貞輔良、天寧寺楚石梵琦、本覚寺了庵清欲ならびに育王寺月江正印の許に歴参した後、牛頭山で月堂宗規の法を嗣ぐことを表明した。至正17年(1357年)に帰国するが、月堂宗規の示寂に伴い貞治2年(1363年)に再び元に渡る。洪武6年(1373年)洪武帝に説法を行い、同14年に示寂。洪武帝は菩薩号を贈諡した。 (ja)
rdfs:label
  • 無我省吾 (ja)
  • 無我省吾 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of