王恭廠大爆発(おうきょうしょうだいばくはつ、王恭廠の変、天啓爆発事件、晩明北京爆発事件など)は、中国で明朝の時代、天啓6年5月初6日(西暦1626年5月30日)、端午節次日巳時(午前9時)、北京西南部の王恭廠周辺で起こった異様な爆発事件である。爆発範囲は半径750メートル、面積2.25平方キロメートルに及び、2万人以上の死者を出した。後の試算では、これらの爆発の威力は、TNT火薬1 - 2万トン分に当たると推定され、広島型原爆に匹敵する。 王恭廠の大爆発を記載した古典籍すべてが、巨大な振動が数百里先まで伝わり、空が夜のように暗くなり、霊芝状の煙雲が天を衝いた等と伝えており、巨大地震や竜巻、隕石が落ちた時のような現象が起きたとも考えられ、単純に火薬が爆発したというだけでは原因を説明できていない。さらに爆発後、地域や近隣の死傷者は皆全裸になっていたことから、不可解さを一層強くし、超自然の神秘的な色彩を帯びることとなった。 王恭廠大爆発の原因は未だ解明されておらず、1908年6月30日にロシアのシベリアで発生した「ツングースカ大爆発」と並ぶ、人類史における大爆発事件となる。