爨龍顔碑(さんりゅうがんひ)は、中国の南北朝時代、南朝の宋で大明2年(458年)に建てられた地元豪族の墓碑。前代にあたる東晋の「爨宝子碑」とともに「二爨碑」と呼ばれ、こちらの方が大きいことから「大爨」とも呼ばれる。 紙による法帖が一般的な南朝にあって、瘞鶴銘と並び数少ない金石文として知られている。 碑は現在も雲南省曲靖市陸良県馬街鎮の爨一族の墓所と伝えられる地に残されている。