清閑寺 共子(せいかんじ ともこ、生年不詳 - 元禄8年(1695年)5月29日))は、後西天皇の典侍。父は権大納言、母は内大臣中院通村女。女房名に中納言典侍局(ちゅうなごんのすけのつぼね)、新大納言局(しんだいなごんのつぼね)、東三条局(ひがしさんじょうのつぼね)。本姓で藤原共子とも。 後西天皇に仕えて典侍となり、有栖川宮幸仁親王、理豊女王ら3皇子8皇女を産んだ。天皇崩御後に出家して東三条局を名乗った。