河石 達吾(かわいし たつご、1911年〈明治44年〉12月10日 - 1945年〈昭和20年〉3月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人、水泳選手。最終階級は陸軍大尉(戦死による特進)。慶應義塾大学法学部卒業。 1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形銀メダリスト。バロン西(西竹一)と共に硫黄島の戦いで戦死したメダリストであるが、知名度が低く「もうひとりの」といわれる。河石の来歴・人物像を語る資料は西と比べると圧倒的に少ないが、太平洋戦争で死んだ著名なアスリートの中では比較的資料が残されている。2004年時点で秩父宮記念スポーツ博物館にわずかながら業績が展示されている。