河田 喜代助(かわだ きよすけ、1900年〈明治33年〉2月 - 1952年〈昭和27年〉9月24日)は、日本の地質学者。1952年(昭和27年)9月24日、海底火山の明神礁を調査中に噴火に巻き込まれ、他の乗組員全員と共に殉職した(第五海洋丸の遭難)。没後、理学博士号が授与された。息子のも地質学者。