殿村 菟絲子(とのむら としこ、1908年4月25日 - 2000年2月9日)は、東京都出身の俳人。本名壽(とし)。旧姓は山田。深川(現江東区)生。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗高等学校)卒。少女期に短歌を学んだが、結婚により中止。1936年、水原秋桜子選の毎日俳壇に投句をはじめ、1938年「馬酔木」に入会、秋桜子に師事。1941年、「鶴」にも投句。 戦後1954年、加藤知世子、野澤節子、柴田白葉女らと女性俳句懇話会を結成、機関誌「女性俳句」を創刊。1972年「万蕾」を創刊、主宰。1978年『晩緑』で第18回俳人協会賞受賞。代表区に「鮎落ちて美しき世は終わりけり」(句集『晩緑』)、「オルガンに繪硝子の夏日灯と紛ふ」(句集『繪硝子』)など。洗練された情感のこまやかな句を詠んだ。句集に『繪硝子』『路傍』『牡丹』『旅雁』『樹下』『晩緑』『菟絲』など、随筆に『季節の雑記』などがある。

Property Value
dbo:abstract
  • 殿村 菟絲子(とのむら としこ、1908年4月25日 - 2000年2月9日)は、東京都出身の俳人。本名壽(とし)。旧姓は山田。深川(現江東区)生。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗高等学校)卒。少女期に短歌を学んだが、結婚により中止。1936年、水原秋桜子選の毎日俳壇に投句をはじめ、1938年「馬酔木」に入会、秋桜子に師事。1941年、「鶴」にも投句。 戦後1954年、加藤知世子、野澤節子、柴田白葉女らと女性俳句懇話会を結成、機関誌「女性俳句」を創刊。1972年「万蕾」を創刊、主宰。1978年『晩緑』で第18回俳人協会賞受賞。代表区に「鮎落ちて美しき世は終わりけり」(句集『晩緑』)、「オルガンに繪硝子の夏日灯と紛ふ」(句集『繪硝子』)など。洗練された情感のこまやかな句を詠んだ。句集に『繪硝子』『路傍』『牡丹』『旅雁』『樹下』『晩緑』『菟絲』など、随筆に『季節の雑記』などがある。 (ja)
  • 殿村 菟絲子(とのむら としこ、1908年4月25日 - 2000年2月9日)は、東京都出身の俳人。本名壽(とし)。旧姓は山田。深川(現江東区)生。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗高等学校)卒。少女期に短歌を学んだが、結婚により中止。1936年、水原秋桜子選の毎日俳壇に投句をはじめ、1938年「馬酔木」に入会、秋桜子に師事。1941年、「鶴」にも投句。 戦後1954年、加藤知世子、野澤節子、柴田白葉女らと女性俳句懇話会を結成、機関誌「女性俳句」を創刊。1972年「万蕾」を創刊、主宰。1978年『晩緑』で第18回俳人協会賞受賞。代表区に「鮎落ちて美しき世は終わりけり」(句集『晩緑』)、「オルガンに繪硝子の夏日灯と紛ふ」(句集『繪硝子』)など。洗練された情感のこまやかな句を詠んだ。句集に『繪硝子』『路傍』『牡丹』『旅雁』『樹下』『晩緑』『菟絲』など、随筆に『季節の雑記』などがある。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 3154123 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1102 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 86080618 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-en:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 殿村 菟絲子(とのむら としこ、1908年4月25日 - 2000年2月9日)は、東京都出身の俳人。本名壽(とし)。旧姓は山田。深川(現江東区)生。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗高等学校)卒。少女期に短歌を学んだが、結婚により中止。1936年、水原秋桜子選の毎日俳壇に投句をはじめ、1938年「馬酔木」に入会、秋桜子に師事。1941年、「鶴」にも投句。 戦後1954年、加藤知世子、野澤節子、柴田白葉女らと女性俳句懇話会を結成、機関誌「女性俳句」を創刊。1972年「万蕾」を創刊、主宰。1978年『晩緑』で第18回俳人協会賞受賞。代表区に「鮎落ちて美しき世は終わりけり」(句集『晩緑』)、「オルガンに繪硝子の夏日灯と紛ふ」(句集『繪硝子』)など。洗練された情感のこまやかな句を詠んだ。句集に『繪硝子』『路傍』『牡丹』『旅雁』『樹下』『晩緑』『菟絲』など、随筆に『季節の雑記』などがある。 (ja)
  • 殿村 菟絲子(とのむら としこ、1908年4月25日 - 2000年2月9日)は、東京都出身の俳人。本名壽(とし)。旧姓は山田。深川(現江東区)生。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗高等学校)卒。少女期に短歌を学んだが、結婚により中止。1936年、水原秋桜子選の毎日俳壇に投句をはじめ、1938年「馬酔木」に入会、秋桜子に師事。1941年、「鶴」にも投句。 戦後1954年、加藤知世子、野澤節子、柴田白葉女らと女性俳句懇話会を結成、機関誌「女性俳句」を創刊。1972年「万蕾」を創刊、主宰。1978年『晩緑』で第18回俳人協会賞受賞。代表区に「鮎落ちて美しき世は終わりけり」(句集『晩緑』)、「オルガンに繪硝子の夏日灯と紛ふ」(句集『繪硝子』)など。洗練された情感のこまやかな句を詠んだ。句集に『繪硝子』『路傍』『牡丹』『旅雁』『樹下』『晩緑』『菟絲』など、随筆に『季節の雑記』などがある。 (ja)
rdfs:label
  • 殿村菟絲子 (ja)
  • 殿村菟絲子 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of