楊 修(よう しゅう、175年 - 219年)は、中国後漢末期の政治家。字は徳祖。「楊脩」とも表記される。本貫は司隷弘農郡華陰県。曾祖父は楊震。祖父は楊賜。父は楊彪。子は楊囂。孫は楊準。母は袁術の父の袁逢の姉妹。『三国志』魏志「曹植伝」、およびその注に引く『典略』などに記録がある。 名門の子弟として生まれ、曹操に仕えその才能を愛されたが、曹氏の後継者争いで曹植に味方したため、その才能を警戒され殺害された。