松濤 明(まつなみ あきら、1922年〈大正11年〉3月5日 - 1949年〈昭和24年〉1月6日)は、日本の登山家。 宮城県仙台市に生まれ、幼少のうちに東京に移住。中学時代に岩登りを始め、1938年(昭和13年)にに入会。この間府立一中から東京農業大学へ進学するが、太平洋戦争による学徒出陣で一時登山からは離れる。 復員後に登山を再開するが、厳冬期の1948年(昭和23年)12月に槍ヶ岳を焼岳に向かって縦走する最中、激しい風雪のため北鎌尾根において東京農大の後輩だったと共に遭難。翌年1月6日に死去。享年26。松濤らの遺体は雪の解けた1949年7月に発見された。 遭難中に記した日記や遺書は死後に『風雪のビバーク』として出版され、ベストセラーとなった。「最後の手帳」は大町山岳博物館に収蔵されている。 北穂高岳北峯のコルにある岩峰「松濤岩」は彼の名前に由来する。