東昌自動車工業(とうしょうじどうしゃこうぎょう)は、かつて日本に存在したオートバイメーカーである。 1958年、東京発動機(トーハツ)と昌和製作所が共同出資によって設立した。そのため、名前もそれぞれの頭をとって名づけられている。同年に50ccスクーター、「エコー」を製造販売。1959年に125ccスクーター「パンドラ」を製造販売している。同1959年にはリコイルスターターの代わりにセルが付いたエコーSE-2が発売された。 1960年に昌和自動車工業が倒産と同時に、東昌自動車工業も廃業した。

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  • 東昌自動車工業(とうしょうじどうしゃこうぎょう)は、かつて日本に存在したオートバイメーカーである。 1958年、東京発動機(トーハツ)と昌和製作所が共同出資によって設立した。そのため、名前もそれぞれの頭をとって名づけられている。同年に50ccスクーター、「エコー」を製造販売。1959年に125ccスクーター「パンドラ」を製造販売している。同1959年にはリコイルスターターの代わりにセルが付いたエコーSE-2が発売された。 1960年に昌和自動車工業が倒産と同時に、東昌自動車工業も廃業した。 (ja)
  • 東昌自動車工業(とうしょうじどうしゃこうぎょう)は、かつて日本に存在したオートバイメーカーである。 1958年、東京発動機(トーハツ)と昌和製作所が共同出資によって設立した。そのため、名前もそれぞれの頭をとって名づけられている。同年に50ccスクーター、「エコー」を製造販売。1959年に125ccスクーター「パンドラ」を製造販売している。同1959年にはリコイルスターターの代わりにセルが付いたエコーSE-2が発売された。 1960年に昌和自動車工業が倒産と同時に、東昌自動車工業も廃業した。 (ja)
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  • 東昌自動車工業(とうしょうじどうしゃこうぎょう)は、かつて日本に存在したオートバイメーカーである。 1958年、東京発動機(トーハツ)と昌和製作所が共同出資によって設立した。そのため、名前もそれぞれの頭をとって名づけられている。同年に50ccスクーター、「エコー」を製造販売。1959年に125ccスクーター「パンドラ」を製造販売している。同1959年にはリコイルスターターの代わりにセルが付いたエコーSE-2が発売された。 1960年に昌和自動車工業が倒産と同時に、東昌自動車工業も廃業した。 (ja)
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  • 東昌自動車工業 (ja)
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