李 容翊(り ようよくまたはり ようしょう、イ・ヨンイク、朝鮮語: 이용익、咸豊4年(1854年) - 光武11年(1907年)2月)は、朝鮮末期から大韓帝国にかけての政治家・官僚。字は公弼(朝鮮語: 공필)、号は石峴(朝鮮語: 석현)、諡は忠粛(朝鮮語: 충숙)。 当時の韓国における代表的な親露派・勤王開化派官僚であり、皇室の造幣事業を主管した。高麗大学校の前身である普成学校の創設者である。