昔麻帝弥(しゃくま たいみ、朝鮮語: 석마제미、生没年不詳)は、法興寺の造営に携わったとされる百済の瓦工。イラン(ペルシア)系西域から中国南朝を経て百済に寄留していたイラン系(ペルシア)胡人か、その子孫とみられる。伊藤義教は、昔麻帝弥を「軒丸瓦・鐙瓦」を意味するパルティア語「syaxmān-tōxm」に引きあてており、昔麻帝弥を「軒丸瓦・鐙瓦」の音写とみている。